嫉妬という病

  • 2017.09.26 Tuesday
  • 17:07

 

熊本で路線バスの発車を待っていたら、運転手に英語で話しかけられた。

 

まだ暑い時期から、着替えも持たずに青森から旅していたので、服は薄汚れた夏服で足はビーチサンダルのままでした。どこか東南アジアから来た外国人だと思われたのだろうか。優しそうな運転手は「Where are you going?」と心配してくれている。面倒なので外国人のフリをして英語で会話していたら、なんだか気が楽でした。外国人のあたしに、みんなが優しくしてくれるような気がしました。

 

 

熊本から福岡、そして岡山に移動しました。公園のように整備された通りを小川沿いに歩いていたら、小さいアスレチックジムのある公園がありました。市橋達也が寝泊まりしたと思われる小さなアスレチックのつり橋は身長180cmの男性には狭い。しかもゴツゴツしていて寝にくい。きっとここにリュックを置いて枕代わりにしたにちがいない。

 

市橋達也の本に書かれているところには全て行きました。

 

あの事件の当時、被害者の父親が頻繁にテレビに出ていました。「本当にすばらしい娘でした」と毎回、吹き替えや字幕が出てくるので、あたしはイライラしてテレビを消していました。事件自体それほど興味もありませんでした。

 

ところが、書類送検される市橋達也の姿をふとテレビで見たときに彼の精悍な姿に衝撃をうけました。そして捕まって何かも終わりだという“どん底”の気持ちも伝わってきました。さらし者だけにはなりたくないと必死で逃げてきたけど、「もう終わりだ」という気持ちだったかもしれない。

 

不思議ですけど、人間は我欲を捨てた瞬間、なぜかキラキラ輝いて見えるような気がします。つまり「さらし者になりたくない」という我欲や「死刑になりたくない」という執着があるうちは、どんなに希望を捨てずに頑張って逃げても苦しさから抜け出せなかったと思います。「どうにでもなれ」と我欲を捨てたとたんに、救いの光が注がれたかような輝きに見えました。

 

彼の手記は、他の事件を起こした人の本とは全く違います。

逃げる前まで働いたことがなかった人が、逃亡中に自立していく…。とくに逮捕される5日前からは緊張感が伝わってきます。

 

 

あたしが被害者の父親にイライラした理由は、嫉妬だと思います。

 

あたしは子どものとき父親に捨てられて、母親の愛情も不安定で虐待もありました。それが影響しているのか、血の繋がりを全く信用できません。「親に無償の愛をもらっている人」というだけで瞬時に怒りがわいてくることがあります。親に愛情を求めてどんなに頑張っても自分の努力ではどうすることもできなかったので、不当に恵まれた人に激しい嫉妬をしてしまうんです。

 

あたしにとって不当に恵まれた人=親に無償の愛をもらえている人

 

だということに気がつきました。

 

 

彼氏の浮気くらいでは嫉妬しません。“その程度の男だった”というだけで気持ちが冷めてしまいます。嫉妬するのも時間のムダ。別れて、違う彼氏と付き合えばいいだけの話ですから。

 

 

あたしが嫉妬を向ける相手はさまざまです。親の七光りで入職した同僚であったり、親のお金で大学に通わせてもらえている同級生だったり。時には親に抱っこされている子どもにまで向けられることがあります。

家族に愛されている病気の人や家族にお葬式をしてもらっている死人にまで嫉妬の気持ちが湧いてきたときには、もう自分ではどうしようもないと思いました。あたしはバカだ!と思います。だけど、自分を責めても良いことは何もありません。

 

周囲に悟られないようにしているので、あたしが嫉妬深い人だということは全く分からないと思います。

 

嫉妬の感情は人に悟られてはいけないと思っているので、よけいにつらいです。あたしは今は幸せだし、ふだんは嫉妬の感情を考えないようにして暮らしていますが、ふとした時に出てくることがあるんです。これは、もはや病です。

 

 

嫉妬を感じることで自分に心の傷があることを証明されているようで辛いですが、冷静に感情の意味を知ることで気持ちが落ち着きます。

 

 

“嫉妬という病”を素直に認めて、そこから何かを学ぼうというくらいになれれば、なる価値のある病かもしれません。

 

 

 

ブスという病

  • 2017.07.07 Friday
  • 17:49

 

ブスってすごい。

 

よくあれで生きてるなぁ。なんで生きているんだろう、と不思議で仕方がなかった。そっくりな顔をした親子が歩いているとゾッとした。

 

あたしは長年、摂食障害や身体醜形恐怖症に苦しみました。「あたしは美人でいなくてはならない」「綺麗でなければ価値がない」「モデルのような体型を保たなければならない」「少しでも太ったら人生おしまいだ」と思い込み、苦しかったことに気づきました。「もっともっと」とキリがなかったんです。

 

いろいろな美容外科で医師に、

 

「一体どこが気になるの」

 

「美容整形の必要ない」

 

と手術を断られても、「そんなはずない!」と思っていました。自分が一体どこに向かっているのか、何を目指しているのか分かりませんでした。どうしたらいいのか分からず焦っていました。

 

 

人間の顔というのは、美容整形で手を加えるとバランスが取れなくなっていきます。もともと持って生まれた顔は、たとえブスでもブスなりに絶妙にバランスが保たれているものです。

 

アンチエイジングのための美容整形も同じです。フェイスリフト手術をしても肌自体が若くなるわけではありませんから、手術したところで逆に不自然に見えてしまいます。

 

キリがなくなってくるので、後悔する前に気づくことが大切です。

 

 

本当の自分の価値というものは外側から評価できるような性質のものではないんだと気づくと、他人の目もそれほど気にならなくなり、自分自身にとらわれなくなります。

 

 

まだ太る勇気はありませんし、不安な気持ちになるときもありますが、少しずつ良くなっている気がします。良くなっていく過程で、いろいろな気づきがあり、今までの生き方を見直す機会になりました。

 

今は美容に時間とお金をかけることが楽しく感じるようになりました。美容があたしの趣味だと思うようになってから不思議と美容整形をしたいなんて思わなくなりました。新しい生き方を身につけてストレスなく生きていけるようになったら、本当の健康について考えられるようになるのだと思います。

 

病というものは、新しい生き方を見直すチャンスなのかもしれません。